2016年10月31日

ヴィレッジ・ピープル(イン・ザ・ネイビー)

イン・ザ・ネイビー


In The Navyは、1979年1月17日にリリースされたヴィレッジ・ピープルのシングル大ヒット曲

全米3位、全英2位

イン・ザ・ネイビーは、海軍に入ろうという曲名のようです。

海軍は彼らがミュージックビデオを撮影に役立つことを条件に無料でアクセス権を与えましたとのことです。

この曲は、ピンク・レディーが(ピンク・タイフーン)という曲名でヒットさせました。

サビにある「In the navy」の部分が「ピンク・レイディー」とも聴こえたため、この曲をカバーしたとのことで、実際に曲で「ピンク・レイディー」、「ピンク・レイディー」と歌っています。



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イン・ザ・ネイヴィー [EPレコード 7inch]



ピンク・レディー(ピンク・タイフーン)


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posted by かどやん at 12:29| Comment(0) | 1979年のディスコ曲

2017年01月17日

アニタ・ウォード(リング・マイ・ベル)

アニタ・ウォード


Anita Wardは、アメリカの歌手・音楽家。 なお、日本では一般的にアニタ・ワードと表記されてきた経緯がある。

テネシー州メンフィスに5人きょうだいの長女として生まれる。

2歳から人前で歌いはじめたとされるほど早くから音楽に興味を持ち、少女時代はメンフィスの様々な教会で独唱者として活動していた。

地元のサウスサイド高校を経て、合同メソジスト教会傘下のラストカレッジに入ると、のちのマネージャー・共同制作者になる同大学の理事チャック・ホームズと出会う。

チャックはある日、新入生のアニタがキャンパスを歩きながら歌っているのを耳にした。

その歌声に感銘を受けたチャックがアニタに声を掛けたのがプロデビューのきっかけとなる。

大学在学中はア・カペラ合唱団に所属し、ゴスペル・カルテットとしてレコーディングに参加している。


リング・マイ・ベル


アニタのプロデビューのための曲作りとレコーディングを進めていたチャックは、音楽プロデューサー・シンガーソングライターのフレデリック・ナイトにアニタを紹介した。

チャックの例に漏れずアニタの歌声に感銘を受けたフレデリックは、ステイシー・ラティソウのために書き上げた楽曲を惜しまず提供する。

しかし、当時まだローティーンであったステイシー・ラティソウに合わせた歌詞にアニタは気が乗らず、詞の内容は書き直された。

また、バラードを歌うつもりでいたのを押し切ってフレデリックは賭けに出た。

こうして完成させたのがディスコソング「リング・マイ・ベル」である。

同曲は1979年5月にリリースされ、同年夏にはBillboard Hot 100をはじめ全米1位を記録し大ヒットとなった。

同曲はこれまで多くのアーティストによって、サンプリングやリミックス、カバーされ受け継がれている。

wikipedia

この曲まだ掲載していなかったんですね!この曲は有名なディスコ曲です。その当時よくディスコで流れていて、人気が高かったです。

全米1位ですので、良い曲です。




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posted by かどやん at 15:57| Comment(0) | 1979年のディスコ曲