
ポール・モーリア
Paul Mauriatは、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。
特に日本ではNHKラジオなどで頻繁にオンエアされ、レイモン・ルフェーブル、フランク・プウルセルらと並ぶイージーリスニング界の有名音楽家となった。
6歳でアマチュア音楽家でもあった父親からピアノを習い、10歳でマルセイユ地方音楽院に入学。
ソルフェージュとピアノをともに首席で修了して1941年に卒業。
その後、アマチュアジャズバンドを経て、1943年にマルセイユのダンスホール「ブラッスリー・ラ・クーポール」専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューし、翌年には同楽団の指揮者を兼任する。
1948年、ギタリストのマルセル・ビアンキが率いるオーケストラに創設メンバーとして加入、同年12月から9ヶ月間に亘るエジプト・ツアーに参加する。
1951年にパリ進出。
近郊のダンスホールで演奏していたフランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加するが、翌年帰郷し、同7月28日にイレーヌ・ボボと結婚。
ダンスホール「ル・ヴァンピング」でのオーケストラ活動が評判となり、1957年にRGMレーベルからレコードデビュー。
1965年、BEL AIRとの契約満了後にポール・モーリア グランド オーケストラとしてフィリップスレコードと契約。
1968年に『恋はみずいろ』がビルボード全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に世界的にヒット。
恋のシャリオ
「愛のシャリオ」(Chariot, 英題:I Will Follow Him 伊語:Sul mio carro)とは世界的にヒットしたスタンダードポップスである。
別題で「恋のシャリオ」もある。
フランク・プゥルセルとポール・モーリアが1961年にJ.W.ストールおよびデル・ローマの変名で発表したインストゥメンタルであり、翌62年に欧州ではペトゥラ・クラークでヒットをし、日本とアメリカではペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」として大ヒットをした。
なお、クラークのレコーディングに際して、レイモン・ルフェーブルがアレンジを担当している。
モーリアは後年、自叙伝の中で変名を用いたことについて、フランス人であることを示す実名を用いるよりもヒットの可能性があることから一計を案じたことを述懐している。
「恋のシャリオ」は、ポール・モーリア・グランド・オーケストラが1976年にセルフカバーした際に邦題として採用された。
wikipedia
この曲は60年代の曲ですが、作曲者のポール・モーリアが1976年にセルフカバーしたので掲載しました。世界中で大ヒットした曲ですので、誰でもが知っている曲ではないでしょうか
インストゥメンタルの曲より、ペギー・マーチやリッキー・ネルソンの歌があった曲のほうが良いなと思います。動画掲載しました。
多くの歌手がカバーしていますが、邦題のタイトルがたくさんあります。「愛のシャリオ」「夢の幌馬車」「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」「恋のシャリオ」などです。
映画「天使にラブ・ソングを…」で使用され、松浦ゴリエが「恋のPECORI


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